成人の鼠径部(そけいぶ)ヘルニアの診断と治療について
はじめに
鼠径部ヘルニアは、下腹部の足の付け根あたりがポッコリ膨らむ病気です。一般的に“脱腸”とも呼ばれていますが、“脱腸”は正式な医学用語ではありません。立っていると膨隆し、寝ると膨隆がなくなってしまう病気です。日常の生活では、ある程度の違和感はあっても、それほど強い痛みは多くの場合ありません。医学的には、この足の付け根あたりを鼠径部(そけいぶ)と呼びます。鼠径部(下腹部)の小さな膨隆から始まり、放置すると少しずつ大きくなりながら下降し、最終的には男性の場合は陰嚢(いんのう)まで膨らむことがあります(図1)。
ここでは、一般の方々に鼠径部ヘルニアについてのご説明と診断や治療についての情報をお伝えします。
図1.鼠径部ヘルニアは最初は小さくても、時間と共に少しずつ大きくなり、下腹部の違和感や疼痛が起こるようになります。
1.鼠径部(そけいぶ)ヘルニアの一般知識
鼠径部ヘルニアは腰のヘルニアとは関連がないの?
医学的には物が飛び出ることを、語源はラテン語の「ヘルニア」と称しています。一般の皆様は、ヘルニアと聞くと「腰のヘルニア」を連想される場合が多いと思います。脊椎の椎間板が飛び出すことで腰痛や足のしびれなどが起こる病気が椎間板ヘルニアであり、これは腰のヘルニアです。鼠径部ヘルニアは、おなかの中の臓器(小腸、大腸、大網などの脂肪、卵巣、子宮など)が腹壁から外に飛び出て膨隆してくるおなかのヘルニアです。腸が出ることが多いので、“脱腸”と呼ばれているのです。腰のヘルニアとは全く異なる病気です。
鼠径部ヘルニアの手術患者さんは多いのでしょうか
日本外科学会が公表している日本の医療統計の一つであるNCD(National Clinical Database)の8年間の手術件数を図2に示します(文献1)。NCDに登録されていない小さな一般民間医院の手術件数も含めると日本全国では毎年15万人程度の手術治療がなされており、日本で最も多い外科手術なのです。鼠径部ヘルニアは子供の病気で男性(男児)に多いと思われている方もみえますが、日本における鼠径部ヘルニアの手術は9割が15歳以上の成人に行われており、女性の割合は少なく全体の1~2割程度です。成人の鼠径部ヘルニア全体でみると多くの方が65~80歳の間に手術を受けています。
文献①:日本外科学会:2019年National Clinical Database年次報告書 (https://jp.jssoc.or.jp/modules/info/index.php?content_id=58)
鼠径部ヘルニアとはどのような病気なの?
鼠径部ヘルニアは、おなかの筋肉が弱くなったり、筋肉のつなぎ目が緩んだりして腹壁に穴が開く病気です。その穴を通って、皮膚の下に腹膜の袋をかぶったままで腸などの内臓が飛び出して来るのです。体の表面から見ると鼠径部(下腹部)や陰嚢がポッコリ膨らんで見えます。特に立っている時に重力によっておなかの中の臓器が下がることによって膨らみが大きくなります(図3)。仰向けに横になって寝ている時は飛び出した内臓がおなかの中に納まり、表面上は平らになって何も無かったように見えます(図4)。一度腸などの内臓が飛び出る穴ができると、飛び出した部分には腹膜の通り道のトンネル(鼠径管)ができてしまい、自然に治ることはありません。ヘルニアの穴や飛び出した袋の大きさにより、見た目にはわかりにくい小さなヘルニアからソフトボール大まで陰嚢が膨らむような大きなヘルニアまであります。大きくても小さくても、手術が唯一の治療法であり、薬剤では治療することはできません。
鼠径部ヘルニアはどうして起こるの?
生まれる前の男性は母親の胎内にいる時に、体の中の腎臓の周囲で睾丸ができます。その睾丸は徐々に下降して、体の外まで移動します。胎児では体の外に出てくるときの睾丸の通り道に穴が開いています。女性では子宮を引っ張る紐のような靭帯が通過するため、筋肉(筋膜)に穴が開いています。小児の先天性ヘルニア(生まれつきの原因)の場合は、この穴の部分が生まれた時に完全に閉じていないとヘルニアになります。また、後天性ヘルニア(生活習慣や加齢による)の場合は、腹壁全体の筋肉が様々な原因で弱くなったり、肥満による体内脂肪の増加や強くおなかで踏ん張ったりするなどのさまざまな原因がヘルニアを発症させます。高齢による筋肉の脆弱化(弱くなる)に合わせて、おなかの圧力(腹圧)が上昇して筋肉がおなかを支えきれなくなったりするなどの様々な原因が絡み合ってヘルニアが起こるのです。
おなかに力を入れる機会や立っていることが多い人(重いものを持つ仕事、声楽家、吹奏楽器の演奏、便秘症の人、前立腺肥大症の人、咳が多い人など)に多く、肥満、妊娠、なども鼠径部ヘルニアの原因となりうるとされています。ヘルニア予防には筋肉を衰えさせないように腹圧のかかり過ぎないバランスの良い適度な運動が有効であると言われています。喫煙が危険因子であるとする報告もあり、禁煙も有用な可能性があります。